なんでこんなにおかねがないのか!

その疑問への回答たる荒々しい金遣いなどなどの雑記

あと6年は生きていると思ってた

 今週のお題「お父さん」

 

 今日は父の日なんですね。父が亡くなって二度目の父の日でした。出かけた先で父の日ギフトが売られているのを見て、そういうものを買う日が、自分の人生にはもう二度とないんだな、と思いました。
 まあでも先日実家には、仏壇に上げてくれるように、父の好物だったマカダミアナッツのチョコレート(あのハワイ土産の、ナッツ2個くっついたやつな!)を送っておきました。

 私は兄弟がいないので、人生のお手本は両親で、最終学歴の学校に入学するまで、両親が結婚する年齢に自分も結婚できると思っていたし、母が私を産んだ年齢で私も出産すると思っていた。結果的に全くお手本にはならず、両親とは似ても似つかぬ人生を送ってしまっています。

 そんな感じだったので、父が父――私にとっての祖父――を亡くした年齢に私が追いつくまでは父が健在でいてくれると信じていました。両親の人生の在り方と乖離してきたと自覚しつつ、その別れの年齢は、本当に盲目的なまでに強く信じていました。だから、あと6年は猶予があると思っていたんですけどね。

 終わり良ければすべて良し、とよく言いますが、だとしたら父の死はどう整理をしたらよいのか、二年経った今でもよくわからないでいます。父の死の間際の私の態度があれで良かったのか、とか、父はどういう気持ちで毎日を過ごしていたのだろうとか。いろいろ、まだ答えがわからないことがたくさんあって、ぼーっ、としてしまいます。
 最近やっと観念できたのは、そういう、取り返しのつかない時間のことを考え出したらキリがないのもよくわかっているんですが考えてしまう、それも含めて丸ごと受け入れるしかないのだということです。